失語症

失語症患者のリハビリ

知らない努力

「知らない努力」を意識したらだいぶ楽になった話。

とにかくね、インターネットっていうのは悪意の集合体なんですよ。情報の濁流の中にいるだけで常にスリップダメージを受けるわけ。SNSや匿名掲示板は特にひどい。しかしね、あそこらで流れている情報は本当に自分にとって必要なのか?え?男女格差問題が、マナー違反者へのウィットの効いた殴打が、マックで起きた男女の会話が、どこぞの一般人の武勇伝が、なんか的確に世を穿った小学生の言葉が、そんなに大事だったか?問題なのはインターネットで突っ立っているだけで能動的に知ろうとしなくてもこれらの情報が流れ込んでくることだ。浮世においては「知る事」より「知らないでいる事」の方がずっと難しいと思う。知らなくていいこと、知らない方が良いことっていうのは間違いなくこの世にたくさんあるんですよ。それを「知らないままでいよう」とする行為、それを知らない努力と呼ぶ。インターネット学級会も匿名棍棒も承認の有無を表す愛を模した記号もいかなる数字も見なくて良いんだ。冷静に考えて。知って得することはひとつもないし、あったとしてもダメージに見合わない。心を燻らせてまでやることじゃない。

で、この知らない努力を意識することの最大のメリット(個人的なものだが)は「欲」そのものに自動で抑制がかかること。例えば今までだって皆さん「知らないほうが良い」と解っていてもつい調べてしまうことあったでしょう。でもね、そんな仄暗い欲が出てきた瞬間に心の中で「知らない努力!」と叫んでごらんなさい。それだけで「知らずに居ること」に対してのあらゆる恐怖や後ろめたさが消えてその行為は絶対的な正義に脳内で変換され、以後それを知りたいという欲が完全にかき消えるのです。少なくとも俺の場合は。これでもうインターネット論争とはおさらばだ。此処一週間くらいは見事にグッバイできている。基本的に「何も知らない夢のまま死んでいけたら幸せだ論者」なので、反知性主義とまでは行かないが芥川龍之介も言っているように完全な幸福は白痴にのみ認められた特権だろうなぁという感じでした。はやく白痴になるぞ。ちなみに初手自殺に関しては機を逃した時点で負け惜しみにしかならないので別ルートを考えるしかない。(初手自殺が最適解なのは間違いないがもう遅いんです…)

 

まとめ

・知ることより知らずにいることの方がはるかに難しい

・「知らずにいた方が良いこと」は間違いなく存在するが、「知らなければならないこと」などこの世に存在せず、詭弁である(『知っておいた方が良いこと』ならあるかもしれないが、いずれも必修ではない)