失語症

失語症患者のリハビリ

「悠々自適な老後」という幻想

悠々自適な老後などありはしない。君たちは老いる事による体力の低下を甘く見すぎている。いいか、たしかに「自由な時間」は今より格段に増えるだろう。しかしだからといって今より「自由に動ける」わけではない。つまりだな、たとえば今きみは日々の平日の自由時間のうち二時間程度をインターネットサーフィンに費やしているとする。君は本当はもっと色々なコンテンツを見たいのに眠らねばならない時間が到来して渋々インターネットをやめる。ああ、もっと自由な時間があれば!と思うとする。またはこう考えてもいい。君は日々ゲームに明け暮れている。しかし眠る時間が(ry

 そこで君に、永劫なる二十四時間の自由時間を与えられたとする。二十四時間、好きな時に好きなだけインターネットをしていい。ただし、与えられるのは今君が持っているスペックのパソコンではなく、90年代の劇古オンボロパソコンだ。スマホなら99年のiモードが登場した直後くらいのスペックしかないガラケーだ。ああ、いいとも、好きなだけ遊ぶが良い。ただし回線速度は今より劇的に遅いし、画面は小さいし、思うように動かないし操作性は悪いしすぐフリーズするけど。つまり、老後とはそういうことである。体力が著しく低下し思うように動かない身体でいったいどうやって「悠々自適」に暮らせというのだろう?居場所もなく、やることもなく、若い層には老害死ねと言われながら、心身ともにバグりまくった身体で……