失語症

失語症患者のリハビリ

犯罪者を「人の道を外した者」と呼ぶことへの違和感から始まった思考電車の暴走録

人間を最も人間足らしめるものはなんだと思う?愛か?憎悪か?いや違う。

「罪」だよ。

人間はどの時代においても常に「罪」と共にあった。創世記でアダムとイブが誕生したまさにその初めにおいても、彼らは知恵の実を食べるという「罪」を犯すことで神の庭から降ろされたのだ。それはやがて「原罪」という消えない罪の概念に成り、キリスト教という最も多くの人に信じられている宗教の根本となった。犯罪、戦争、そういったものの謂れというのは怒りや憎しみじゃあなくて「罪」に漸近したがる「人間性」なんだよ。

卵より鶏が先なのだ。憎悪の結果として罪が生まれるのではなく、罪が「そこに或る」結果として憎悪が引きずり出されるのだ。人間は罪に対して引力を持っている。遺伝子の深い所で、「人間とは罪を犯す生き物だ(罪を侵さないものは人間ではない)」という悟りがあるから、どれほど人間の道徳が進化しようが法律を整備しようが、必ず”それ”は生まれ続ける。どれだけ過ちを重ねようがまた同じ「罪」を重ねていく。愚かなんじゃあない、それが「人間」の最も本質的な部分なのだ。人間は罪に対して飢え続けている。それがデストルドーの正体。

要するに、無差別大量殺人鬼も幼児レイプ魔も、それは間違いなく「人間」なんです。太宰の人間失格に「これも人間の姿だ、これもまた人間の姿だ」とうわ言を繰り返すシーンがあったけど、まさにそうで、異常なんじゃないんです、それが「人間の側面のひとつ」なんです。大犯罪者を見るとよく化け物とか悪魔とかいう言葉で逃げたがる人がいるけど、残念ながらあなたと全く同じホモ・サピエンスだ。飯を食べて、排泄をし、人を愛する、同じ人間だ。怖くてもよく見て欲しい。どんなに残酷に見える奴でも、長生きして欲しい人がいるし、触れていたい肌があるし、心地よい歌があるし、まんがを読んで笑うし、髪が伸びたら切りにいくし、おいしいものを食べたら幸せになるし、自分だけの宝物があるし、つらく死にたい夜があるし、映画を見て泣くこともあるんです。そうでない者など、居ないんです。そういういわば同胞を、「人道を外している」とか「人外」「悪魔」みたいな言葉で自分たち「人間」のカテゴリーから外して、さあ良しこいつはもう人間じゃないから好き放題に罵れるぞと殴りつけているのを見ると、悲しくなるぜ。